2018年08月17日
盆迎えに盆送り、そして終戦記念日
毎年、夏休みはお盆の為に嫁の実家に里帰り。

嫁の故郷では土地柄、まだお盆の習慣が残っている。
なので、毎年お盆になると嫁が小学4年生の時に他界した義父をお迎えするのだ。
東京のベッドタウンで生まれ育った自分には、身近に無かった習慣なので
とても新鮮でとても風流に感じたものだった。
今年も変わらずに盆迎えと盆送りを行った。
あなたの家のお墓はどうしてるの?と突然嫁が聞いてきた。
ウチのお墓にはオレの姉が眠っている。
オレが生まれたときには亡くなっていたので、一度も会うことの無かった姉。
お盆は何もしないけど彼岸には親父とお袋が墓参りしてるよと答えた。
前々から気になってたものの中々余裕が無くて同行できなかったけど、
やっと安心して娘の手も離れたから今年からはご一緒するから声掛けして欲しいと言った。
ふと、歳を取るってこういうことなのかな・・・と思った。
そして、お盆の間に迎える終戦記念日。
これも不変なものだ。
この時期になると必ずといっていいほど その関連の番組や報道がなされる。
今年は太平洋戦争勃発前に起こった日本帝国陸軍の“ノモンハン事件”を取り上げていた。
当時の軍事国家の幕僚や将校、そして現在の閣僚や官僚も大差無いんだと感じた。
保身のための責任転嫁に事なかれ主義、縁故体質などなど。
悲しいかな、これが日本人の本当の国民性なのかとも思えてくる。
愚かな指導者の決断よって涙を呑むのは常に弱きものなのに...
そんな終戦記念日の数日前に一冊の文庫本の紹介記事を読んだ。
高度成長期に生まれた自分の小学時代は、まだまだ戦争の実録やその手の書籍を
色々と見ることが出来て手に取る事が出来た。
そして、その頃から漠然と認識していたものとは少し違う内容に興味を抱いて
手にとってみたというわけ。
悲しくもここでも保身のための責任転嫁に事なかれ主義、縁故体質などが横行していました。
その中で齢二十ほどの青年が自分の信念を貫きながら特攻出撃を繰り返すという実話。

まだ昨日の数時間で半分を読み進めただけなのですが、
数年前に阿見にある予科練平和記念館を訪れ、当時の若者達の心情を垣間見てきたものとしては、
臆病者が!今度こそ体当たりして死んで来い!と上官に罵られる この若き特攻兵の想いを慮らずにはいられませんでした・・・
因みに、来館した当時の感想を綴っていましたので宜しければどぞ。
もう今となっては、当時の事を後世に伝え残せる方が少なくなっていますよね。
自分は生前の爺ちゃんから戦争の悲惨さを聞いた事がありましたが、やはり当時の事は話したがらなかったのを覚えています。
だから、せめて記念館を訪れたり、書物を読んでみて、少しでも次の時代に残せたらと
今は思います。 この想い、若いパパママに少しでも理解して頂けたら良いなと。
これもやはり歳を取った証拠ですかね・・・

嫁の故郷では土地柄、まだお盆の習慣が残っている。
なので、毎年お盆になると嫁が小学4年生の時に他界した義父をお迎えするのだ。
東京のベッドタウンで生まれ育った自分には、身近に無かった習慣なので
とても新鮮でとても風流に感じたものだった。
今年も変わらずに盆迎えと盆送りを行った。
あなたの家のお墓はどうしてるの?と突然嫁が聞いてきた。
ウチのお墓にはオレの姉が眠っている。
オレが生まれたときには亡くなっていたので、一度も会うことの無かった姉。
お盆は何もしないけど彼岸には親父とお袋が墓参りしてるよと答えた。
前々から気になってたものの中々余裕が無くて同行できなかったけど、
やっと安心して娘の手も離れたから今年からはご一緒するから声掛けして欲しいと言った。
ふと、歳を取るってこういうことなのかな・・・と思った。
そして、お盆の間に迎える終戦記念日。
これも不変なものだ。
この時期になると必ずといっていいほど その関連の番組や報道がなされる。
今年は太平洋戦争勃発前に起こった日本帝国陸軍の“ノモンハン事件”を取り上げていた。
当時の軍事国家の幕僚や将校、そして現在の閣僚や官僚も大差無いんだと感じた。
保身のための責任転嫁に事なかれ主義、縁故体質などなど。
悲しいかな、これが日本人の本当の国民性なのかとも思えてくる。
愚かな指導者の決断よって涙を呑むのは常に弱きものなのに...
そんな終戦記念日の数日前に一冊の文庫本の紹介記事を読んだ。
高度成長期に生まれた自分の小学時代は、まだまだ戦争の実録やその手の書籍を
色々と見ることが出来て手に取る事が出来た。
そして、その頃から漠然と認識していたものとは少し違う内容に興味を抱いて
手にとってみたというわけ。
悲しくもここでも保身のための責任転嫁に事なかれ主義、縁故体質などが横行していました。
その中で齢二十ほどの青年が自分の信念を貫きながら特攻出撃を繰り返すという実話。

まだ昨日の数時間で半分を読み進めただけなのですが、
数年前に阿見にある予科練平和記念館を訪れ、当時の若者達の心情を垣間見てきたものとしては、
臆病者が!今度こそ体当たりして死んで来い!と上官に罵られる この若き特攻兵の想いを慮らずにはいられませんでした・・・
因みに、来館した当時の感想を綴っていましたので宜しければどぞ。
2014/05/18若い血潮の 予科練の七つボタンは 桜に錨今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃでっかい希望の 雲が湧く 軍歌 『 若鷲の歌 』 より
戦闘機が好きで、太平洋戦争記が好きで、殆んどの戦記を読み漁り本気で戦闘機乗りになりたいと思っていた小学生当時、大した意味…
もう今となっては、当時の事を後世に伝え残せる方が少なくなっていますよね。
自分は生前の爺ちゃんから戦争の悲惨さを聞いた事がありましたが、やはり当時の事は話したがらなかったのを覚えています。
だから、せめて記念館を訪れたり、書物を読んでみて、少しでも次の時代に残せたらと
今は思います。 この想い、若いパパママに少しでも理解して頂けたら良いなと。
これもやはり歳を取った証拠ですかね・・・
この記事へのコメント
momozoさん、こんばんは。
わたしのブログへのコメント、ありがとうございます!
わたしの祖父は、戦争のことをよく話してくれました。もちろん美化してではなく、現実的な話題でした。小さい頃からずっと聞かせてくれたので、大きくなってからもよく聞いたりしていました。
自分の辛い体験を、美化せず伝えるっていうのは、とても大変なことだったんだろうなぁ、と今になってやっとその当時の祖父の気持ちがわかるようになってきました。
後世に伝える、とても大変なことですが、わたしも伝えられたことを少しでも伝えていきたいと思います。
ちなみに通信兵だった祖父は、史実とは少し違うコトを色々と知っていたようです。それもまた聞くのが楽しかったです(^◇^;)
わたしのブログへのコメント、ありがとうございます!
わたしの祖父は、戦争のことをよく話してくれました。もちろん美化してではなく、現実的な話題でした。小さい頃からずっと聞かせてくれたので、大きくなってからもよく聞いたりしていました。
自分の辛い体験を、美化せず伝えるっていうのは、とても大変なことだったんだろうなぁ、と今になってやっとその当時の祖父の気持ちがわかるようになってきました。
後世に伝える、とても大変なことですが、わたしも伝えられたことを少しでも伝えていきたいと思います。
ちなみに通信兵だった祖父は、史実とは少し違うコトを色々と知っていたようです。それもまた聞くのが楽しかったです(^◇^;)
Posted by ウラシマカメタ
at 2018年08月18日 19:54

>ウラシマカメタさん
こんばんは!わざわざコメントありがとうございます。
ウラシマさんの御祖父様も帰還兵だったんですね。
私達の子供の頃は体験者が普通に身近にいたので、簡単に耳に入れることが出来ましたけど、
今の時代は望まないと知ることが難しくなってますよね。
無理強いして現代の子供達に伝える必要はないとは思いますが、
せめて一年に一度、平和な日本にもこのような事があったんだと事実を伝え、今の生活がどれだけ幸せなのかを伝えることは大切なんじゃないかと思いますよね。
こんな重い話題にお付き合いありがとうございました。
キャンプギアとバイクを弄るばかりでキャンプレポは殆どありませんが(笑)、
宜しければまた気軽に遊びに来て下さいませ♪
こんばんは!わざわざコメントありがとうございます。
ウラシマさんの御祖父様も帰還兵だったんですね。
私達の子供の頃は体験者が普通に身近にいたので、簡単に耳に入れることが出来ましたけど、
今の時代は望まないと知ることが難しくなってますよね。
無理強いして現代の子供達に伝える必要はないとは思いますが、
せめて一年に一度、平和な日本にもこのような事があったんだと事実を伝え、今の生活がどれだけ幸せなのかを伝えることは大切なんじゃないかと思いますよね。
こんな重い話題にお付き合いありがとうございました。
キャンプギアとバイクを弄るばかりでキャンプレポは殆どありませんが(笑)、
宜しければまた気軽に遊びに来て下さいませ♪
Posted by momozo
at 2018年08月18日 21:52
