2014年10月23日
懐かしの単車たち
単車・・・懐かしい響きです。
昔はバイクというより、単車と呼んでいるヤツが身近には多かったです。
近年、長くバイク氷河期が続いて新型車のリリースが少ないせいか、
古いバイクが注目されつつあるようですね。特に若い世代の方が多いような気がします。
昔懐かしの残念な改造(笑)を施した旧車もありますが、割と綺麗な旧車を見かけます。
オートバイ全盛期と言われる80年代に青春時代を過ごした自分は、
思わず懐かしくて若いライダーさんに声を掛けてしまうこともあります。
80年~90年初頭・・・あの頃は本当にバイク乗り多かったですね。
クラスの男子の過半数はバイクに乗ってたんじゃないでしょうか?マジデ。
50ccの原チャなら、まだノーヘルでOKな時代です。
当時は東京上野の昭和通り沿いにバイク店やバイク用品店がズラ~っと並んでいて、
上野バイク街と呼ばれるくらい、それはもう盛況で凄かったです。
休日になると昭和通の路肩にバイクがびっしりと鈴なりに停まってました。
上野に行けば上から下までの装備一揃え&バイクとカスタムパーツ、全て揃っちゃいましたからね(笑
その中でも光輪という店が一番目立ってましたね。 そう、良くも悪くも。
全盛時は上野バイク街にヘルメット館、逸品館など、
15前後の光輪店舗があったのではないでしょうか。
当時の夏休み期間の売上だけで2億に届いたと聞いています。
そのくらいの盛況だったんです。
閑散とした今の上野を見る限りでは想像も付きませんよね。。。
実は・・・その光輪って店、自分の友人のうちがやってたんですよ。
そ、高校の友人の親父さんが光輪の社長だったわけ。
その友人はとても気のいい面白くて優しいヤツでした。
夏休みには逗子マリーナに招いてくれたりして・・・。
その時にベランダから見たユーミンのコンサートは感動モノでした。
でも、もうかれこれ20年以上会ってません。
最後に上野に行ったのは10年近く前、その時はもう既に光輪は倒産寸前で
彼にも会えませんでした。
今でも元気にしてくれてると良いんですが…。
社長が友人の親父さんでしかも故人なので、光輪の経緯や所業について語ることは控えますが、
親父さん一代であそこまでの規模にされたのですから、本当に大したもんだと思っています。
例えば、今はごく普通にスポーツバイクに付いているセパハンってあるでしょ?
そう、それです。そのセパーレートハンドルです。
それは80年代にレプリカバイクが世に出る前は、まだ日本では一般的じゃなかったんですよ。
その当時、ヨーロッパで知れていたメーカーが 『トマゼリ』 というブランドでした。
バイク好きなら一度は聞いたことあるんじゃないかな。
そのトマゼリといち早く正規代理店契約を結んで、日本に輸入したのが光輪の社長なんですよ。
それが光輪をあそこまで大きくした第一歩だったと記憶しています。
あんなに親父さんを嫌っていた友人が自慢げに話してくれたのを今でも覚えていますから。
個人的なうがった見方をすれば、レプリカバイクが世に出るまでの間、
日本でセパハンを広めたのは光輪だとも思えてくるわけです。
さて、そんな友人がいた自分ですが、バイクの免許所得は成人になってからなんです。
もちろんバイクは好きだったのでバイク雑誌は買って読んでたりしたのですけど、
都内に通学してた高校時代は部活に勤しみながら、放課後や空いた時間は
新宿や池袋界隈を夜遅くまでぶらつくという、そんないい加減な学生生活を
送っていましたので、免許を取ってバイクに乗るなんて考えてなかったです。
そのうち18で車の免許を取り、バイクの中型免許を取った時は21を過ぎた頃でした。
時代はレーサーレプリカが出始めの頃。 2スト全盛期でもあります。
4スト、2ストとも次から次と新しいバイクがリリースされていた頃でした。
4ストマルチの排気音が好きな自分の初の愛車はこれでした。
初めて自分で買った新車です。
昔はバイクというより、単車と呼んでいるヤツが身近には多かったです。
近年、長くバイク氷河期が続いて新型車のリリースが少ないせいか、
古いバイクが注目されつつあるようですね。特に若い世代の方が多いような気がします。
昔懐かしの残念な改造(笑)を施した旧車もありますが、割と綺麗な旧車を見かけます。
オートバイ全盛期と言われる80年代に青春時代を過ごした自分は、
思わず懐かしくて若いライダーさんに声を掛けてしまうこともあります。
80年~90年初頭・・・あの頃は本当にバイク乗り多かったですね。
クラスの男子の過半数はバイクに乗ってたんじゃないでしょうか?マジデ。
50ccの原チャなら、まだノーヘルでOKな時代です。
当時は東京上野の昭和通り沿いにバイク店やバイク用品店がズラ~っと並んでいて、
上野バイク街と呼ばれるくらい、それはもう盛況で凄かったです。
休日になると昭和通の路肩にバイクがびっしりと鈴なりに停まってました。
上野に行けば上から下までの装備一揃え&バイクとカスタムパーツ、全て揃っちゃいましたからね(笑
その中でも光輪という店が一番目立ってましたね。 そう、良くも悪くも。
全盛時は上野バイク街にヘルメット館、逸品館など、
15前後の光輪店舗があったのではないでしょうか。
当時の夏休み期間の売上だけで2億に届いたと聞いています。
そのくらいの盛況だったんです。
閑散とした今の上野を見る限りでは想像も付きませんよね。。。
実は・・・その光輪って店、自分の友人のうちがやってたんですよ。
そ、高校の友人の親父さんが光輪の社長だったわけ。
その友人はとても気のいい面白くて優しいヤツでした。
夏休みには逗子マリーナに招いてくれたりして・・・。
その時にベランダから見たユーミンのコンサートは感動モノでした。
でも、もうかれこれ20年以上会ってません。
最後に上野に行ったのは10年近く前、その時はもう既に光輪は倒産寸前で
彼にも会えませんでした。
今でも元気にしてくれてると良いんですが…。
社長が友人の親父さんでしかも故人なので、光輪の経緯や所業について語ることは控えますが、
親父さん一代であそこまでの規模にされたのですから、本当に大したもんだと思っています。
例えば、今はごく普通にスポーツバイクに付いているセパハンってあるでしょ?
そう、それです。そのセパーレートハンドルです。
それは80年代にレプリカバイクが世に出る前は、まだ日本では一般的じゃなかったんですよ。
その当時、ヨーロッパで知れていたメーカーが 『トマゼリ』 というブランドでした。
バイク好きなら一度は聞いたことあるんじゃないかな。
そのトマゼリといち早く正規代理店契約を結んで、日本に輸入したのが光輪の社長なんですよ。
それが光輪をあそこまで大きくした第一歩だったと記憶しています。
あんなに親父さんを嫌っていた友人が自慢げに話してくれたのを今でも覚えていますから。
個人的なうがった見方をすれば、レプリカバイクが世に出るまでの間、
日本でセパハンを広めたのは光輪だとも思えてくるわけです。
さて、そんな友人がいた自分ですが、バイクの免許所得は成人になってからなんです。
もちろんバイクは好きだったのでバイク雑誌は買って読んでたりしたのですけど、
都内に通学してた高校時代は部活に勤しみながら、放課後や空いた時間は
新宿や池袋界隈を夜遅くまでぶらつくという、そんないい加減な学生生活を
送っていましたので、免許を取ってバイクに乗るなんて考えてなかったです。
そのうち18で車の免許を取り、バイクの中型免許を取った時は21を過ぎた頃でした。
時代はレーサーレプリカが出始めの頃。 2スト全盛期でもあります。
4スト、2ストとも次から次と新しいバイクがリリースされていた頃でした。
4ストマルチの排気音が好きな自分の初の愛車はこれでした。
初めて自分で買った新車です。

SUZUKI GSX-R
GSX-Rでも不人気モデルの3型ですw。400ccです。
確か、このモデル名には排気量の400が付かなかったと思います。
少し腰高な感じでしたけど、とても扱いやすいバイクでした。
水・空・油冷の3種のクーリングシステムを持つ特異なエンジンを積んでいます。
なので、冬場はチョイとオーバークール気味でした(笑
この前後のモデルはレーシーな感じに振っていて、この3型だけ少し異質なモデルなんです(^^;
次に乗ったのは、シビレル加速の2ストです。

HONDA NSR250R
限定解除した友人から格安で譲ってもらったバイクです。
初代の
景色が溶けるというのを初めて感じたバイク。
そして、殆んど乗ることがなかった当時の嫁のバイクがコレ↓

HONDA CB250RSZ
スポーツシングルという新しい位置付けとして開発されたバイクだったと思います。
友人が乗らなくなったオンボロを貰いました。それを動くように直して、
現在ではハーレーのシートで有名なK&Hのシングルシートカウルを装着して、
自分でオールペンして乗れるようにしました。
塗料は当時からペイント屋を営んでいた友人から譲ってもらって、
ペイントの仕方を教わりながら塗りました。ちゃんとクリアーも塗って磨き上げたんですよ。

仕上がりはこの写真と殆んど同じ。 カラーリングは白い部分とフェンダーはブルーメタリック、
タンクとシートカウルの赤い部分はゴールドに塗装したんですよ。
ただ、調子くれてセパハンにバックステップなんて入れたもんだから、
小柄な嫁ではポジションが厳しくて殆んど乗れませんでした(爆
もう少し乗り手である嫁のことを考えて直してあげれば良かったと反省してます(^^;
25年以上も前の話しです。
それから当時一緒に走っていた仲間が乗っていたバイクはというと・・・

KAWASAKI Z400FX
言わずと知れたFXです。
実車は赤ではなく、タンクは黒?に水色とグレーっぽいラインの入ったカラーリングだったと思います。
当時ではまだ珍しかったオーリンズをリアサスに入れ、バックステップにして、マフラーは
ヨシムラ手曲げ。その後、モリワキのモナカ管を入れてた様な・・・。
ハンドルはもちろんセパハンでしたよ(笑

HONDA CBR400F
ホンダの4ストマルチです。 このバイクからCBRの名が始まったと思います。
仲間のバイクはコレをモリワキカラーに塗っていて、マフラーにはモリワキサイクロンを入れた
ハマリ過ぎのバイクでしたw
実は、個人バイク売買“売りたし”に出ていたそのバイクを見に行き、試乗したところが
見事にぶっコケて、そのままお買い上げになったという伝説のバイクです(笑

YAMAHA FZR400R
吊るしでクロスミッションが入っているF3クラス参戦を目的とした市販バイクです。
発売当時の4ストマルチ400最強バイクでした。
乗り手は仲間内でも一番ヘタなくせに、金にモノを言わせて
一番いいバイクを手に入れるという鉄板パターンなヤツです(笑
ええ、ご想像の通り、二度目かなんかのツーリングで病院に直行してくれましたよ(爆
もちろん、そういう御仁ですから上から下まで平忠彦レプリカに身を包み運ばれていきましたww
これから2ストバイクになります。

YAMAHA TZR250
ご存知NSRの対抗馬です。 これは初期型ですね。
まんず、このバイクは売れてましたねー!超人気者でした。
個人的には、この後にリリースされた後方排気のTZRに興味津々でした。

YAMAHA RZ250R
RZの後継車です。このバイクも息が長かったですね。
これまた個人的には、初の水冷2ストとして登場をした初期型RZの方が好きです。
あれはセンセーショナルでしたね!初めて見る真っ黒なエンジンがとても印象的でした。
世間一般のバイク熱が一気に上がった感じを受けましたよ。
今でも初期型のRZは欲しいバイクの1台です。
このRZ-Rに乗っていた友人は、後にGB250に乗り換え、かのスーパートラップを装着してました。
シングルの歯切れ良い排気音を聞きながら、のんびり走りたくなったそうです。

KAWASAKI KR250
KH以来のカワサキ2ストです。
このバイクはタンデムツインという変わったエンジンの造りです。
簡単言うと、単気筒エンジンを縦に並べて2気筒にしてるような構造です。
キャブは右側に二つ並んでいます。
この変わったバイクに乗る友人はお巡りさん。
この頃は白バイ隊に所属してたんじゃなかったかな・・・。

SUZUKI RG400γ
これも一風変わった2ストマシンです。
なにしろ、今では考えられない2ストで4気筒400ccというエンジン(笑
しかもエンジン形式は、並列2気筒を前後縦に並べるという、スクエア4というエンジンです。
分類的には前述のタンデムツインの仲間だそうですね。
とにかくロケットのような加速だったみたい。条件が完璧なら(笑
キャブで2ストで大排気量。かなり神経質なバイクだったみたいですよ。
地元仲間繋がりの友人だったので、一緒に走ったことはほとんど無いような・・・。
特にこのバイクでは。
みんなより速いバイクを!とコレに乗り換えたそうですが、後方にオイル汁は飛ばすわ
煙幕のような白煙は撒き散らすわ、毎度カブリ気味でまともに走らないわで、
かなりヒンシュクを買ってたみたい(笑
でも、このバイクの中で1台貰えるなら、自分はこのバイクを選びます。
もう二度と世の中に出ることの無い文化的価値のあるバイクだと思います。

SUZUKI RG250γ
ガンマ1型です。レーサーの流れを汲むカウル付きの2ストの先駆者です。
2ストはガンマ、4ストはGSXR 、市販レーサーカウルの先駆けは全てスズキだった覚えがあります。
このガンマ乗りの友人が仲間内では一番手でした。 一度も前を走れたことが無かったですね。
この後、彼はTZRのネイキッド仕様に乗り換えて、東北道でクラウンだかベンツとの
メーター振り切ってのバトル中にエンジンの片肺を焼き付かせ、タイヤをロックさせながら
路肩に回避。そのまま何食わぬ顔で片肺のまま高速を走り、高速を降りた田舎道で
もう片肺も焼き付かせて完全停車。近くの公衆電話から皆に連絡するも誰も捕まらず、
地元から約20キロある距離を歩いたという強者(笑
えぇ、もちろん捕まらなかったオレらは、後々謂れの無い文句をブーブーに言われましたww
携帯電話の無い時代、個々が何の縛りも無く自由でいられた頃の思い出ですね。
焼きついた理由?それはエンジンオイル不足です(笑
余談ですが、今の彼はオフ車で野山を駆け回ってます。
横柄で乱暴モノの速いオッサンが近くにいたら、それはオレの友人かもしれません(笑

SUZUKI RG250γ
最後に当時高校生の弟が乗っていたバイクと同型同色です。
ガンマ4型です。(画像はネットから拝借しました)
どこだったか忘れましたが、上野のバイク屋で新車で買ったこの4型ガンマ。
納車日に引き取りに嫁(当時は嫁じゃないけど)と三人で車で行ったのを覚えています。
その何年か後に限定解除をし、弟はGPZ900Rに乗り換えました。
そして今は・・・
上に載せた1型ガンマ乗りの友人と同じオフ車に乗り、
彼の子分となって一緒に野山を駆け回ってますww
こうやって改めて上げると、当時は色々なバイクがありましたね。
今は徐々にニューモデルが増えつつありますが、メーカーのホームページを見ると
まだまだため息が出てしまいそうなラインナップの少なさですよね。
少しずつでもバイクに乗る若者が増えて、世間のバイク熱がまた上がればいいなぁと思います。
おしまい♪
Posted by momozo at 20:00│Comments(6)
│バイクに関すること
この記事へのコメント
勉強になりました!
学生の頃、確かに廻りはバイク野郎でいっぱいでした。骨折してくるやつも多かったなぁ~腕を吊ったり脚を引きずったり、なんか誇らしげに見えました。
ヒーローもみんなバイクに乗っていた。
私は全く興味なかったんですよね~ そんな私でもZ400FXは知ってます。
この名前が飛び交っていて自然に覚えたんでしょうね。
上野がそういう時代があったとは驚きです!
学生の頃、確かに廻りはバイク野郎でいっぱいでした。骨折してくるやつも多かったなぁ~腕を吊ったり脚を引きずったり、なんか誇らしげに見えました。
ヒーローもみんなバイクに乗っていた。
私は全く興味なかったんですよね~ そんな私でもZ400FXは知ってます。
この名前が飛び交っていて自然に覚えたんでしょうね。
上野がそういう時代があったとは驚きです!
Posted by cap.america at 2014年10月26日 08:18
うひょ~♪
懐かしい~!
懐かしすぎます♪
当時、友人達がKR250やRZ250RR、CBX400、CBR400、VF400
などを乗ってました
私はGPz400Fを新車購入して大事にしていました♪
コーリンもよく行きました
トマゼリではありませんが、ハリケーンのセパハン買いましたよー
アライの平忠彦レプリカもコーリンでしたね
ディーズもお気に入りのお店でした
ん~上野のバイク街、本当に懐かしいです
懐かしい~!
懐かしすぎます♪
当時、友人達がKR250やRZ250RR、CBX400、CBR400、VF400
などを乗ってました
私はGPz400Fを新車購入して大事にしていました♪
コーリンもよく行きました
トマゼリではありませんが、ハリケーンのセパハン買いましたよー
アライの平忠彦レプリカもコーリンでしたね
ディーズもお気に入りのお店でした
ん~上野のバイク街、本当に懐かしいです
Posted by ジュン at 2014年10月26日 11:23
>capさん
まいどです。
どうですか~?そろそろバイクに乗りたくなってきましたか~?(笑
capさんは同年代ですもんね。周りにはゴロゴロとバイク小僧がいた時代ですよね(笑
FXは一番人気のバイクでしたね~。そして初代RZも負けず劣らずでした。
その頃は学校にナイショでバイク通学してるヤツもいましたね。
そう!ヒーローには必ずバイク!サイクロン号カッコよかったです。
その影響で小学生の頃は、出てるマフラーの本数がカッコ良さの基準でした(笑
当時の上野はホント凄かったですよ。バイク用品店のハシゴが出来ましたから。
今もあの状況だったら、capさんも定期的に足を運んでいたかもしれませんね(笑
まいどです。
どうですか~?そろそろバイクに乗りたくなってきましたか~?(笑
capさんは同年代ですもんね。周りにはゴロゴロとバイク小僧がいた時代ですよね(笑
FXは一番人気のバイクでしたね~。そして初代RZも負けず劣らずでした。
その頃は学校にナイショでバイク通学してるヤツもいましたね。
そう!ヒーローには必ずバイク!サイクロン号カッコよかったです。
その影響で小学生の頃は、出てるマフラーの本数がカッコ良さの基準でした(笑
当時の上野はホント凄かったですよ。バイク用品店のハシゴが出来ましたから。
今もあの状況だったら、capさんも定期的に足を運んでいたかもしれませんね(笑
Posted by momozo
at 2014年10月26日 12:46

>ジュンさん
連投どうもです。
あら!ジュンさんも同世代だったんですね!
ジュンさんはGPz400Fに乗られてたんですかー。いいバイクですよね!
Zの文字を小文字にしてるところなんて、通ですね(笑
ツルんでいた地元の友人の中にはいませんでしたが、
学校の友人には乗っている子いました。
お~ハリケーンのセパハン、懐かしいですね~
ディーズ!!ありましたね!並びではいちばん端の方だったんですよね。
用品店ハシゴの締めはいつもディーズでした(笑
裏話をすると、ディーズは打倒光輪で立ち上げられたんですよ。
なので光輪にはない良い物が揃っていて、自分もお気に入りでした。
今も上野バイク街が残ってたら、結構賑わってたかもしれませんね・・・。
連投どうもです。
あら!ジュンさんも同世代だったんですね!
ジュンさんはGPz400Fに乗られてたんですかー。いいバイクですよね!
Zの文字を小文字にしてるところなんて、通ですね(笑
ツルんでいた地元の友人の中にはいませんでしたが、
学校の友人には乗っている子いました。
お~ハリケーンのセパハン、懐かしいですね~
ディーズ!!ありましたね!並びではいちばん端の方だったんですよね。
用品店ハシゴの締めはいつもディーズでした(笑
裏話をすると、ディーズは打倒光輪で立ち上げられたんですよ。
なので光輪にはない良い物が揃っていて、自分もお気に入りでした。
今も上野バイク街が残ってたら、結構賑わってたかもしれませんね・・・。
Posted by momozo
at 2014年10月26日 13:05

バイク全盛だったころのバイクですね
よく今の若者のバイク離れが語られて
確かに、町中で無茶な追い越ししながら
かっ飛ばしてるバイクが
実は良い大人だったりして驚いてるのは
この頃の若者がそのまま元気に乗ってるんでしょうか…笑
思ったよりスズキが多くて、ホンダが少ないですね
よく今の若者のバイク離れが語られて
確かに、町中で無茶な追い越ししながら
かっ飛ばしてるバイクが
実は良い大人だったりして驚いてるのは
この頃の若者がそのまま元気に乗ってるんでしょうか…笑
思ったよりスズキが多くて、ホンダが少ないですね
Posted by トキオ at 2014年10月29日 09:21
>トキオさん
まいどです。
そうですねーいくつものモデルが毎年リリースされていた頃の話ですね。
あはは、トキオさんの言う通りかもしれませんね。
耳が痛い気もしますが、街中じゃ飛ばさないからギリギリセーフかな(笑
でも、十数年ぶりにまたツーリングを行くようになった時に感じたことは、
最近のバイク乗りってマナー良い人が多いんだなぁ・・・でしたよ(^^;
当時は、ホンダは正統派、ヤマハはホンダが嫌いな人、
カワサキは拘りの人、スズキは天邪鬼・・・そんな感じでしたね(笑
あと、スズキは型落ちの新車値引きが大きかったんですよ。
それが一番の理由かなw
まいどです。
そうですねーいくつものモデルが毎年リリースされていた頃の話ですね。
あはは、トキオさんの言う通りかもしれませんね。
耳が痛い気もしますが、街中じゃ飛ばさないからギリギリセーフかな(笑
でも、十数年ぶりにまたツーリングを行くようになった時に感じたことは、
最近のバイク乗りってマナー良い人が多いんだなぁ・・・でしたよ(^^;
当時は、ホンダは正統派、ヤマハはホンダが嫌いな人、
カワサキは拘りの人、スズキは天邪鬼・・・そんな感じでしたね(笑
あと、スズキは型落ちの新車値引きが大きかったんですよ。
それが一番の理由かなw
Posted by momozo
at 2014年10月29日 17:52
