ツーリング 後記 -霞ヶ浦に偲ぶ-

momozo

2014年05月18日 00:01


若い血潮の 予科練の

七つボタンは 桜に錨

今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ

でっかい希望の 雲が湧く


               軍歌 『 若鷲の歌 』 より


戦闘機が好きで、太平洋戦争記が好きで、殆んどの戦記を読み漁り
本気で戦闘機乗りになりたいと思っていた小学生当時、
大した意味も分からず、口ずさんでいた歌です。
戦後の高度成長期に生まれ、平穏に育った自分には
予科練生がどんな思いで歌っていたのかは知る由もありませんでした。



訪れた予科練平和記念館は7つの展示スペースに分かれています。
それぞれのスペースの入口には、彼らの書いた手紙や日記の一文が綴られています。




僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。

お母さん、良く顔を見せてください。

しかし僕は何にもカタミを残したくないんです。

十年も二十年も過ぎてからカタミを見てお母さんを泣かせるからです。

お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。

それが僕の別れのあいさつです。


                  第7室 『特攻』 より





最後の7番目の入口に綴られていた母への思い。
横には氏名と予科練生ということに加え、沖縄没 享年19歳と記されていました。

傍らで神妙な面持ちで読んでいた嫁の顔が、見る見る曇っていくのを感じたので、
この7つ目の映像展示スペースには足を踏み入れず、記念館を後にしました。


みんな凄いね・・・本当に凄い

きっとお母さんは息子さんをとても誇りに思っただろうね・・・そしてとても悲しかっただろうね・・・

私には想像が付かない・・・


記念館を振り返り、同じ一人の母として嫁が言った言葉です。



昨今、どこぞの教育機関のお偉いさんには、原爆犠牲者の被爆体験を綴った漫画に対し
閲覧規制を施した方もいるようですが、その“臭いものには蓋をすればよい”という
日本の悪しき風習は自分には到底理解できないのものです。
読むに耐えない惨い内容なのかもしれませんが、事実は事実として
後世に残さねばならないものもあるはずです。
確かに、どんな理由であれ、全てを破壊してしまう戦争はダメです。
それは到底賛同できるものではありません。

しかしながら、戦争の歴史によって新たに生まれてきたものがあることも事実です。
今の平和な生活もこの悲惨な歴史があってからこそのもの。現代の技術の進歩も然り。
これらは過去の反省から生まれてきたものではないのでしょうか?
それには、この予科練に志願した少年達のように、その時代を精一杯生きた
純真無垢な心が礎になっているのです。


『一億人の民を護る』


展示されていた国旗に綴られていた寄せ書きの一文です。
彼らが綴った日記や手紙の中には自分の運命を受け入れ、悟りすら感じられるものもありました。
まだ成人にもならない少年なのに・・・。
現代に生まれていれば、ごく普通の少年だったはずなのに・・・。

彼らは祖国を思い、故郷の母を思い、己の誠を信じ、ただ一生懸命にその時代を生きただけ・・・。
そんな純真無垢な心が、今の時代の礎になっているのも事実なのです。
その事実は忘れてはならない。 無駄にしてはならない。
今回ここに訪れて改めて思い知らされた気がします。

今の平和な時代、彼らに恥ずべきことなく、もっとしっかりと、もっと大切に生きなくてはなりませんね。
いがみ合うばかりではいけません。 今の時代、平和に民を護る方法は幾らでもあるはずです。
この平和を後世に残すことが、現代を生きるものの役割ですから。

機会があれば、是非一度、彼らに会いに訪れてみてください。





さてと、今週末は地元を走ります♪




あなたにおススメの記事
関連記事