88年前の写真機とミモザの花言葉

momozo

2023年03月13日 18:11

母が入所していた特別養護老人ホームのミモザが満開になってました。



入所していた・・・

そう、過去形なのです。
米寿の誕生日を一週間後に控えた先月末、母は眠るように旅立ちました。
晩年にパーキンソン病を発症していたので、いずれは・・・と覚悟はしていたはずなのですが、
それがいざ現実となると気持ちが追いついていきません。
気持ちの整理を付けるにはもう少し時間が必要ですかね・・・

母は87歳で他界、享年89歳。昭和10年生まれです。
生まれも育ちも浅草。チャキチャキの江戸っ子ってやつですね。
若い頃は銀座三越のデパガをやっていて、かの宝塚の試験にも受けに行ったほどの美人さん。
都内のスケートリンクで初代・引田天功にナンパされたと言ってましたね…ホントかな(笑)

これ以上、母の思い出を綴ったところで支離滅裂な駄文になりそうなので、やめておきます。

家族だけでささやかな葬儀を済ませて数日が過ぎ、やっと気晴らしを考えるようになった頃
何となく開いたオークションサイトで個人的に目を引くものが出品されてました。

それはとても古めかしいカメラ。
何故、それが目を引いたのか自分でも分かりません。
それでも全て可動して、とても程度良くみえるものでした。


名前はパーレット。
本体の横には唐草の模様とPerletteの浮き彫りが入るお洒落さん。
製造メーカーは小西六の前身である六桜社。 後のコニカ・・・現在のコニカミノルタだそうな。
パーレットは大正12年の登場からマイナーチェンジを受けつつ、昭和22年まで製造されていたとのこと。
気になりついでに色々と調べてみると、このパーレットは当時かなりの人気を博したらしいです。
高嶺の花だった(外国製カメラは現在の価格で400万円相当だったらしい)写真機が、
国産のもの(現在の価格で十数万円相当)で安価で手に入るとなれば、その結果は明らかですよね。



で、該当のパーレット。
各部の作りや形状を見て、ネットに上がっていたパーレットの記録と照らし合わせてみると・・・
昭和10年初期製造のモデルだったんです。
そう、昭和10年3月生まれだった母と同い年だったんです。
これも何かの縁ですかね。
幸いにもこのぐらい古いカメラに興味を持つ人は少ないようで、割とすんなり手に入れることが出来ました。



現物はとても小さくて、お洒落な美人さんでした。
亡き母と同い年のパーレット、ずっと大切していきたいと思います。



ねぇ、こんなところにミモザが咲いてるなんて気付かなかったよ。
オババは気付いてた?去年の春、園内散歩で見せてもらったりしたのかな?
貴女にとってオレはどんな息子だったんだろう? いい息子でいられたのかな?

ミモザの花言葉知ってる? 『感謝』なんだって。

オレは貴女に対してその言葉しか浮かばないよ。
本当に本当にありがとう!
感謝の一言では済まないほどに感謝してます。
いずれそっちに会いに行くからさ、ひとまずゆっくり休んでおくれ。



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